SE構法 重量木骨の家

重量木骨の家とは ー 1 -SE構法の生い立ち-

2012年02月04日サンキ建設 布垣 友義

日本住宅の革命SE構法は、この二人から始まった。

日本に、理想の木造住宅を。
そんな思想から生まれた注文住宅、SE構法。
その原点と未来への可能性は、二人のキーパーソンから始まりました。


構造設計家 播 繁 (Shigeru Ban)

鹿島建設構造設計部長を経て、98年播設計室設立。
JSCA賞(1991年)、日本建築学会賞(1997年)、
英国構造技術者協会特別賞(1998年)などを受賞。
主な構造設計作品は国技館、フジテレビ本社ビル、
長野オリンピックアリーナエムウェーブ、赤坂プリンスホテル等。

 株式会社エヌ・シー・エヌ 代表取締役会長
         杉山 恒夫 (Tuneo Sugiyama)

父の経営する丸七製材に就職し、独立。
84年にセブン工業(東証2部上場)社長に就任。
96年にエヌ・シー・エヌ社長に就任。
日本集成材工業協同組合理事長等を歴任。
06年にエヌ・シー・エヌ会長に就任。



播 繁 が語るSE構法

私の好きな日本住宅の空間

 私は日本住宅が好きです。空間や素材感がすばらしいと思うのです。しかし、在来工法では耐力壁を優先して考えるため壁だらけになって、わたしの好きな日本住宅の空間はできません。それを現代の技術力で実現できないかと取り組んだのです。
 もうひとつSE構法へ取り組むきっかけとなったのは、あの阪神淡路大震災でした。震災による死者は5500人を超え、その死因の89%は家の下敷きになったための圧死でした。つまり在来工法のままでは強度がとれないわけです。そこで、大型建造物を造る時に用いる大断面集成材に着目し、木の感性と日本的な木組みを生かした、耐震性の高い住宅ができないかと考えるようになりました。

杉山社長からの住宅提案

 その頃、冬期オリンピックの舞台となる祈念アリーナのエムウェーブの構造設計を担当することになりました。この時の集成材をセブン工業にお願いして、専用の加工ラインを作っていただきました。そしてそのエムウェーブの完成パーティーの席で、当時のセブン工業の杉山社長と出会い、次は空宅にこれを利用できないだろうか、と今のSE構法の基本となる話を持ちかけられたのです。
 そこから研究は急速に進むことになりました。最大の課題は、木組みの接合部を構造的に、施工的にどう単純化し、かつデザイン的に美しく見せるかにありました。その研究の成果がSE金物です。できあがると全く分からないように、くさびの原理を応用し、ドリフトピンを打ち込むことにより、柱が引き寄せられる仕組みです。
 こうした仕組みを実現しえた背景には、コンピュータ制御のプレカットの制度が近年、驚異的に向上したことがあります。20年前ならできなかった技術なんですね。その結果、当たり前のように行われていた「現場合わせ」が不要になったんです。キチッとした材料、キチッとした加工、キチッとした施工をシステム化したわけです。

高性能集成材と独自金物の開発

 SE構法は高強度で均一性の高いプレカット集成材にSE金物を組み合わせることで、構造だけで十分な強度を確保することに成功しました。
 衝撃をふわっと緩衝しながら受けとめる機構をもっているのが鉄骨造。SE構法により、その仕組みが木造でも可能になったのです。だから、これを木骨構造って呼んでるのです。木でありながら、鉄骨に負けない強さをもった家ということですね。
 この構法の最大の長所は、木造でありながら、鉄骨造やRC造とほとんど変わらない構造計算を取り入れているという点です。だから、性能もきちんと把握できる。在来工法と比べると、坪単価は多少高くなるけど、そういう保証があることを考えると、それだけの価値は十分にあると思うんです。
 近頃、話題のスケルトン&インフィルも、SE構法の家の住まい方です。木造の戸建て住宅で、スケルトン&インフィルを実現したのは、SE構法が初めてでしょう。まさに、ここから新しい日本住宅の歴史が始まったと言えるでしょう。

播氏と杉山氏がセブン工業と鹿島建設時代にはじめて一緒取り組んだ大規模木造建築物「長野オリンピックアリーナエムウェーブ」

数々の木造大建築のノウハウから生まれた木骨構造という新発想。
強さと木の魅力を兼ね備えた地震大国に理想的な住宅の誕生。
SE構法はこうして生まれました。

詳しくは、「SE構法テクニカルカタログ」をご請求ください。

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